百の見聞は一経験にしかず。

一人でも多くの方を家族の元へ。その思いだけだった。
何日目であっただろうか、昼の休憩の際、大学の1級上の北村信隆先輩(新潟県開業)に卒後25年ぶりでお会いする。マスク、帽子、眼鏡をしている為、半日一緒にいて気がつかなかった。前回もそうであったが、全国から同じ思いで集まった多くの歯科医師が現地で真剣に任務にあたり活躍されていたことを改めて報告します。(写真11)
 いったい今、行かないでいつ行くのだろうか? また起こるやもしれない事象に対して少しでも多くの先生が経験し、あの現状を実際目の当たりにすることは、今後の日本の為に、歯科医療の為に、人々の為に大切なことと思う。私だけでなく、今回の震災に対して医療人としての使命感から志を抱いた多くの先生方が、自分のリスクを省みず、長年携わってきた歯科医師として出来るお手伝いをしたい、泊まるところなんて何処でもいい、雑魚寝で構わない、寝袋で布団などいらない、ご飯など食べなくても、カップラーメン持って行けば、、、今か今かと待機していらしことをお伝えしたい。今後、形は変わっていくものの、そういった先生の思いを無駄にしないよう、地元の歯科医師会、日本歯科医師会などが連携し、被災者、現地の先生方の気持ち、状況も理解した形での支援が進むことを、切に祈っている。できる支援は様々な形で山ほどある。

   震災から半年、未だにあの状況に戻る。におい、音で蘇り、夢でも見る。遺体の身元確認は、歯医者になって、歯科医師として私が経験した中でもっとも悲しく辛く過酷なことだった。同時に、僭越ながら、歯科医師にしかできない、崇高な、そして社会、人々にとって重要な役目を少しでも果たせたのではないかと思っている。