現場・石巻の惨状

翌朝、同行する我々3人は 宮城県警本部に向かい、山形県歯科医師会、東北大学歯学部からのボランティアと合流。私達の担当は宮城県第二の都市である石巻、前日だけでも300体の遺体が運び込まれたと報告を受ける。8人4組体制。担当の先生より身元確認の手順、デンタルチャートの取り方の説明を受けた。地元宮城県歯科医師会の災害対策担当の先生が県警で指揮を執られ、各所への人員の手配、調整をされている。「身勝手な行動は慎むべきで、統括する場所を一つにしないと混乱する」とのお話。まだ統制が取れていない状況も感じ取れる。全体として連絡は比較的取れているが、携帯電話の繋がらない地域がほとんど。出動にあたり、警察の車両に支援物資を積み込んだら人が乗れなくなり、私の車で移動することになる。車中同行した岩手出身の朴沢先生は過去に雫石の日航機墜落の際にも、身元確認のボランティアに参加された経緯をお持ちであり、車の中で当時の状況や検視方法をお聞きし、心の準備をした。
道路の破壊が激しく、仙台から石巻まで通常なら30〜40分と聞いていたが、1時間半以上を要した。石巻の海に隣接した地域は、地震 津波の直後 街が火の海になり二日間焼き尽くされた地域。荒廃した町並み、家、瓦礫の山、点在する車、焦げた臭いの空気、オイルの臭い。昨日からやっと自衛隊が入り道を造ったという状態。更なる先の牡鹿半島は未だ自衛隊が入ることが出来ない状況全く手つかずの状況と。遺体安置所は石巻旧青果市場。外には家族の安否を気遣い、多くの人々が詰めかけている。地震直後から安置所になっていた会場が400以上で収容不可能となり新たに安置所を設置とのこと。既に300以上の遺体が安置されていた。安置所入り口に我々の車以外に7、8台の車が停まっている。自衛隊車両、宅配便車両、軽トラック、郵便車両、、荷台には何人もの遺体が検案検死を待つ。