再び現地へ

4月8日(金)前回の石巻の南に位置する東松山地区の検案検視、身元確認照合に赴く。この野蒜地区は街全体が壊滅した地域でもある。道や人々の生活は回復にあるものの、瓦礫は未だに手つかずの状態であった。避難所と安置所が隣合わせで、行き来をする人々も見かける。こちらでは新潟県歯科医師会からのボランティアの先生と合流となった。今回は海や水の引いていない田畑からの遺体が多く、魚介類により軟組織が荒らされた遺体。瓦礫の下からは下半身がつぶされた遺体等、震災直後の眠るような遺体とは様相を異にしていた。顔は一様にドス赤黒く腫れあがっている。遺体の損傷が激しく、腐乱がすすんできていて、判別が厳しくなってきていた。所持品で警察が判断して家族と対面となるが、お顔を家族4〜6人でみても首を傾げる事が殆どであった。歯科の役割が非常に重要になってきている。歯科の照合で判別した方が多くいらした。照合は責任ある作業であった。たとえば、口腔内チャート記録で5欠損とあったが、カルテは健全歯と? 照合で一致せず、矛盾ありとなり、再度遺体を確認させていただく。舌側の触診で指先に硬組織を触れる。5番の舌側転位歯を確認。泥で視野が悪く見えなかったのだろう。5番が欠損していて、6番が近心傾斜しているときはあれっ?と感じる臨床の経験も役に立つ。これが最後の決め手となり本人と確認ができた。
 また、2,2等の舌側転位とか、3番唇側転位(八重歯)、正中離開等の本人の特徴(家族、友人が覚えていそうな特徴)となることは必ず網羅することが大事だと実感。水に浸かったカルテからも照合できた。日常のカルテの記載はきっちりしなければ、と私も反省。(口腔内写真を普段から撮ることは、何より良い)きっとこれから先は判別が困難を窮めることであろう。一般歯科医ではなく、法歯学専門医の出番ではないだろうかと、我々のできる領域を知る。レントゲンや口腔内写真も必須になるであろう、とも思った。
 対面は皆が辛い場面だ。幾度となく時空を共にした。休憩の際に呼び止められ、先ほどはありがとうございました、と遺族の方から深々と頭を下げられると、うつむくだけで涙が止まらなくなる。
 前回 科学者の一人でもある私は、ぶつけるところのない悔しさに「神よ、あなたはどうしてこんなことをするのですか?」と何度も心の中で繰り返していた。そんな心境にもなることを思い出した。今回改めて、「神様なんていないよ」と。だって、こんなに惨いことするわけがない。
 線香の臭いが鼻についた前回と異なり、今回はその香りの意味をこの年齢になって初めて知ることになった。遺体の腐敗臭は何よりも線香の香りで癒された。遺体が傷むことを防ぐ方法が無かった大昔、亡くなられた方との別れを惜しみ少しでも長く安置したい、その哀切な時間を芳しく包むために、必要不可欠であったのだろうと。