2011年3月11日午後2時46分。

 その時を出張先の東海大学八王子病院口腔外科外来で迎えた。突然始まった激しく恐ろしい揺れ。「きゃぁ~」という悲鳴と共に逃げ惑う外来の患者、スタッフたちに「大丈夫!ここは大丈夫!」と叫びながらも、心の中には「ついに来たか!これはまずい!」絶望感がよぎる。誰に対してか、何処に向かってか、もう終われ!これ以上大きくなるな!止まれ!静まれ!、、、祈るしかなかった。

 やがて、騒然とした外来に少しずつ落ち着きが戻り始めた頃。きっとこれは何処かで大変な事が起こっている。ふいに私は、使ったことのない携帯電話のテレビのボタンを押した、目に飛び込んで来た光景は「震源は宮城沖、大津波警報」の文字とアナウンサーの「避難してください!」と繰り返す緊迫した声、そして、その背景には真っ黒な影が町並みを次々と飲み込んでいく見たことのない津波の映像だった。えっ?これは本当か?眼鏡を取り出し凝視する。夢じゃない!? その晩、八王子駅前のホテルのロビーで過ごした時から、日常が非常へと切り替わった。私の心はその時決まった。